神戸市西区に坐す、堅田神社・弥賀多多神社です。
堅田神社
神戸市西区平野町堅田491
大己貴命
猿田彦命・倉稲魂命・皇太神・素盞嗚尊
天元2年(979)正月15日の創建と伝えられる。
非常に愛嬌のある狛犬さんですね。
弥賀多多神社(式内社)?
明石川の左岸段丘の上部、岡の裾にあります。丘の上は、開発されて美賀多台となっています。参道の入口に堅田神社・弥賀多多神社と2社あるように見えましたが、本殿の後方にある小祀が弥賀多多神社ではなかろうかと思われます。
ところで、弥賀多多神とはいかなる神なんでしょうか?この辺りは河岸段丘になっていまして、周囲に溜池の非常に多い地域になっています。また、堅田・・・堅い田・・・水利に苦労したエリアでもあり、社殿の後方丘陵上部には湯谷池があり、社殿の少し北には水路もあります。
治水の神・・・素盞嗚尊
水潟・・・建御名方命・・・大国主の子
とか、想像してみました。
弘仁6(815)年勅願寺梵天山宝珠寺鎮守の社として創建され、延喜2(903)年延喜式内
社弥賀多多神社と称す。
現在の社は、平安時代、天元2(979)年播磨の国堅田の庄鴨谷村弥賀多多の里(現神戸市西区平野町堅田字内垣内491番地)弥山に勧請創建され鴨谷・金星・繁田・黒田の4か村の鎮守の社として祭祀された。上記の堅田神社の由来にあるように、この地を「播磨の国・堅田の庄、鴨谷村弥賀多多の里」と言い、「弥山」に「弥賀多多神社」があったところからこのニュータウンを「美賀多台」、学校を「美賀多台小学校」と名付けた。
写真撮ってなかったんですが、近くに梵天山宝珠寺という立派なお寺がありました。新しい建築の今風のお寺だったんですが、実は古刹だったんですね。
インドの仙人。鉄の宝鉢を持っていたことから、空鉢、空鉢仙人とも呼ばれる。
6-7世紀頃、中国・朝鮮半島を経由して、日本へと渡ってきたとされる。播磨国一帯の山岳などに開山・開基として名を遺す、数多くの勅願寺を含む所縁の寺がみられる。
また、日本に渡るときに牛頭天王と共に渡ったとされその牛頭天王は姫路市にある広峰神社に祭られ、その後現在は八坂神社中の座に祭られたとされている。
ううむ、こうなると素盞嗚尊?
ところで、堅田地区には本社を含めて堅田神社が三社あります。本社が、最も上流で標高も高い位置にあります。小祀の丸い石も気になります。卵と見れば巳さん。孕石かもしれませんですね。
堅田神社
神戸市西区平野町堅田491
大己貴命
猿田彦命・倉稲魂命・皇太神・素盞嗚尊
天元2年(979)正月15日の創建と伝えられる。
繁田堅田神社
神戸市西区平野町繁田558
大己貴命
素盞嗚尊・住吉大神・顯宗天皇・仁賢天皇
正応5(1292)年11月28日、西区平野町堅田に鎮座の堅田神社から勧請奉祀した。
黒田堅田神社
神戸市西区平野町黒田392
大己貴命
豊磐窓命・櫛磐窓命
明徳2年(1391)6月3日、西区平野町堅田に鎮座の堅田神社から勧請奉祀した。
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