宮城県白石市に坐す、福岡八宮水分神社です。
鎮座地:宮城県白石市福岡八宮中川上13-2
御祭神:天水分神・国水分神
白鳳8(680)年、大和国(奈良県吉野町)に鎮座の蔵王権現を、不忘山頂に勧請し、不忘山蔵王大権現(奥宮)として祀られ、この時に山号を蔵王を改められた。
延暦20(801年)頃、坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に戦勝祈願したといわれ、治承元(1177)年に藤原秀衡が社殿を造営した。
永正2(1505)年御岳林に里宮(蔵王権現社)を造営し、村内各地に祀られていた神明社、愛宕社、天王社、賀茂社、八幡社、春日社、熊野社を境内に祀り八社になり、八宮の地名の由来と伝えられている。
慶長8(1603)年片倉小十郎景綱公白石城主となり代々崇敬厚く、元文元(1736)年奥宮が火災に遭い仮宮が建てられた。
その仮宮が大風の災難に遭い、元文5(1740)年片倉家により社殿が再建され、この時に不忘山頂に奥宮(石祠)を建て、御神体を里宮に安置した。
明治2年(1869年)水分神社と改称した。明治4(1871)年再び火災に遭い社殿を焼失し、仮宮が建てられた。明治7(1874)年社格を郷社に列せられ、大正12(1924)年神饌幣帛料の共進の指定を受けた。平成8(1996)年不忘山頂の奥宮と里宮の仮宮が老朽化したため、氏子、崇敬者により里宮(本殿、幣殿、拝殿)と不忘山頂の奥宮(石祠)が再建された。
石工:梁川町・八島梅太郎。珍しく石工の名前が残されています。福島県の梁川町ではないでしょうか。
非常に綺麗にされています。
なお、宮城県と山形県との県境にある日本百名山の蔵王連峰(蔵王山)は、古くは刈田嶺(かったみね、かったね、かりだのみね)、または、不忘山(わすれずのやま)と呼ばれていた山岳信仰および歌枕の山であったが、吉野から蔵王権現が勧請され、平安時代には修験者が修行するようになったため蔵王山とも呼ばれるようになったとされる。江戸時代になると、刈田岳にある「蔵王大権現社」(現・宮城県刈田郡七ヶ宿町)に参詣する庶民で賑わうようになり、積雪のため参詣出来ない冬季には東麓の「蔵王大権現御旅宮」(宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉)に季節遷座するようになった。明治維新期の廃仏毀釈の中、「蔵王大権現社」および「蔵王大権現御旅宮」はそれぞれ刈田嶺神社(奥宮)および刈田嶺神社(里宮)となり、遷座する祭神も「蔵王大権現」から「天水分神」および「国水分神」の2柱となってしまった。
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